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ルリボシカミキリの青

個人的に好きな作家の一人、福岡伸一の「ルリボシカミキリの青」を読み終えました。
特に紹介書きなど事前情報を仕入れないまま購入しましたので、
始めはタイトルに関する科学的な追求本かと思っておりましたが・・・
意外や意外、生物学者の視点から様々な事柄に対する考察というか感想というか、
取り留めのない文章が綴られておりました(勿論のこと生物、いや生き物寄りな話が多い)。
ただ、その中で見せる福岡さんらしさというかウィットを感じる言い回しや結びは健在で
ちょっとした時間に2~3編読んで一息つく、という読み方ができる一冊でした(´ー`)

いくつかタイトルを紹介しておきましょう。
「はらぺこあおむしの想い出」「ボストンの優雅な休日」「プロセス・オブ・パラレルターン」
「わたくし率」「風鈴と脳とホタル」「生命の不完全性定理」などなど・・
最後の最後で「ルリボシカミキリの青」と閉めています(笑)

タイトルに興味を持たれた方は買ってみてはいかがでしょうか。
福岡氏の「作家」として、非常にライトな一冊と思われます。

ここからは単なる私見でこの本の内容以外も含めた生物学的な考えを少々・・
カテゴリ的にはここからは「生物」ですが・・
生物と無生物の違いは何か。
この問いに答えることは簡単ではありません。
思考実験として、目の前に蟻がいるとしましょう。蟻はまだ生きています。
この蟻を、可哀想ですが、臼で磨り潰して肉団子にしてしまったとします(つД`)
ただし、この肉団子には蟻を構成している物質が1原子も漏らさず含まれており、
磨り潰す前と後で完全な質量保存の法則が成り立つと仮定します。
さて、この肉団子は果たして生きていますか?蟻と言えますか?

磨り潰す前と後で、蟻を構成する物質の増減はありません。では、何が違うのか・・
福岡伸一さんの著書「生物と無生物のあいだ」では、この問いに答えを導いた人として
ルドルフ・シェーンハイマーの名前を挙げています。
(細かいニュアンスは違うかも知れませんが、ここでは私が理解した形でざっくり書きます)

 生物とは機械の部品が組み合わさった堅牢不動な精密コンピュータというわけではなく、
 体を構成している骨や神経細胞に至るまで常に物質が出入りし続けている動的な存在で、
 それは自然界の物質循環という大きな流れの中に生じた淀みのようなものであると。
 その淀みの形が生物としての違いであり、存在である。
 しかし、自然界の法則として、エントロピーは常に増大する方向にあり、
 物質循環の中に生じた局所的な淀みはならされて均一化される方向にある。
 それにもかかわらず一定の生物としての形・機能を保ち続けられているのは、
 生物が進化によりそのエントロピーの増大に抗う術を身につけ、
 外部からの影響を柔軟に克服して元の状態を維持しようと努めているからである。
 ケガで損傷した器官や病気で崩した体調も、やがては平常な状態に回復する・・
 このように、生物を生物たらしめているのが動的平衡である、と。
 (かなり前に読んだ本ですので、間違ってたらごめんなさい)

この考え方に乗っ取ると、先の蟻の話でも何が変わってしまったのかは答えられます。
いわゆる、蟻という存在としての動的平衡状態が失われてしまったということです。
福岡氏の話では、一度失われたこの状態は元には戻せないということです。
私はこの本を読んで、なるほどそういう考え方もあるかと思いました。
あぁ、蟻さんごめんなさい Ω\ζ゜) チーン・・・

この本を読むまで、自分が考えていたのは蟻という「形」が失われてしまったと。
今、この一瞬に存在する蟻を構成する分子全ての配置、
つまり「形」という秩序が失われたと考えていました。
逆に言うと、全ての分子の配置を完全に同時に元に戻すことが出来れば、
同時というのが難しければ必要な機能部品を作り、組み合わせて繋げてやることで
蟻、という生物、という機械を組み立て直せるのではないか、と考えていたのです。
(実際には細胞で管理していた酵素が入り乱れ、元の物質の形は保っていないですが)

意思や思考は脳が行っています・・よね?
以前、ラットの神経細胞を電極チップ上で培養し、
ラジコンと接続して操作を行わせるという実験がありました。
この時、外部から電極にパルスを送る(刺激を与える)ことで
壁にぶつかるのを避けるように「教育」することが出来たらしいです。

デカルトの言う機械論というか唯物論というものを完全に捨てきれません。
現実の系では複雑に絡み合っている要素が多すぎて機能部品を組み合わせるどころか、
切り離して一から作ることもまだ不可能と言われています。
しかしですよ、例えば今よりずっとずっと後に、コンピュータの演算力が
量子コンピュータよりも向上するような時代がきたとしたら、あるいは・・と思ってしまいます。
かつてレーウェンフックがレンズを磨いて微生物を初めて見たという時代がありました。
今では原子を一つずつ掴んで移動して文字を書く
(文字に見えるような配置にする)ことすらできるのです。
さらには粒子が物理的に離れた空間で相互に作用するという、
一般的に考えてとても非常識な現象が事実として観測されています。
当時、目に見えないものが存在するという驚きがありましたが、
まさか物質を構成しているのが小さな粒子であり、
しかもその粒は実は更に微細な粒でできている・・などと誰が想像できたでしょう。
現存する常識だけで物事の可否を考えるには、
人の知的欲求という好奇心と夢見る希望はあまりに大きいのです(笑)

ここ最近、細菌を人工的に作り上げたというニュースがありました。

○asahi.com
人工生命、完成見えた 米研究所、ゲノム合成し人工細菌

読むと別種の細菌のゲノムを取り出し、人工合成したゲノムを後から移植したようです。
ゲノム以外の細胞という器を作る方が遙かに難しいと思いますが、
それでも僅かな一歩を踏み出したと言えるでしょう。
ゼロから材料だけで、完全に細菌を作りだしたとしたら・・果たして、生物とは何か。
改めて、じっくり考える問いになるでしょう。
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